ami.nakahara

It is no use crying over split TTY driver.

水戸

喝を見る。近所に選挙に行く。機材を持って水天宮前へ。銀座線に乗り換えて上野へ。フレッシュひたち。水戸に着く直前に雷が落ちる瞬間のビビビとなっているのをみる。協調作業=人の使い方に、ここでも馴染めないのはどういうことだろう。とてもうまくいっているから何か嫉妬しているのだろうか。こんなふうにはできないことを思い知る。それとも、もっと手ざわりも見栄えも悪く、何も協調性のないものが見たいのか。何か協調することで安心するのは、もううんざりしている。おざなりの結論にも。コンピューター=ネットワークみたいな論説にも。何度も何度も何度も見たものでも、うんざりしないものもあるだろうに。ハンドインハンドしなきゃいけないような陶酔感の中で、手をはじきかえしてしまうような嫌な感覚だけが残って困る。素直に楽しみゃいいだろうに。それが楽しいことなんだろうから。安っぽいプライドの裏返しのような居心地の悪さを感じる。何を見ても何も感じない。ドアが閉まる前に大井町線に忘れた機材一式を回収できて安心する。セリフを棒読みする自動販売機の声を楽しみにしている。サンプラーのように同じセリフを繰り返すこと。シンクロニシティ