ami.nakahara

It is no use crying over split TTY driver.

藤ヶ丘→藤が丘

日陰に入ると涼しい。札幌の温度を思い出す。下之一色展に行くことにする。新幹線は混んでいる。携帯DVDプレーヤを与えられておとなしくしている子供たちがいる。ヘッドホンで耳をふさがれているので、携帯電話で話しているように大きい声でディズニーに突っ込みを入れている。背もたれを越えて小さい頭がたくさん突き出ている。bpmは160を超えるハイテンションだ。「海だー」と声がする。そりゃ浜名湖だよと思いながら寝てしまう。起きると熱海を過ぎている。新横浜も混んでいる。甲子園のおみやげ紙袋を2袋もっているおじさんが通り過ぎるのを見る。スイカを買う。ベスのベーシック・ブレッド...クロニクル・ブックス日本語版を見る。
テレビをつけると甲子園で見た天理がまた出ている。この間目の前で見たものをテレビの画面で見るのは変な感じ。6畳のはずなのにガニメデ星雲より広い部屋を片付けようとしてみる。13年以上前に行ったライブのチケットの半券とか出てくる。10年以上前にもらった手紙も出てきて封も切っていない。封を切って中を見ると、ネッズのコンサートの話とか書いてある。今だったらミクシーかなんかに数行書いて終わりなんだろうなと思う。そういえばメーリングリストとかwebとかない時代があったんだ。最後に真剣に手紙を書いたのはいつだっただろう。もう思い出せない。メーリングリストは手紙を何人かに送ったりするのとは明らかに違っていて、本当に面白かった。あんな簡単な仕掛けであれだけ人の考え方とか関係を変えるようなものを作るにはどうすればいいんだろう。メーリングリストとかを使う前に感じていた窮屈な思いはもうない。とてもフラットな空間がどこまでも広がっていて、どこに向かえばいいのか途方にくれている。欲しいものはすべてある。欲しい関係もすべてある。ここからどうすればいいんだろう。敵はもうない。味方もいない。一塁側と三塁側に分かれるのは野球の時だけだ。ガニメデ星雲のように広がっている空間の中で、遠くでにっこり手を振る人の中で、距離をおいて浮かんでいるのは心地いい。「システムを作る側じゃなく、使う側に回ったことがショックだった」そのとおりだ。何をどうすればいいのかわからない。
「何もしなけりゃいいんだ」そうかもしれない。
片付けている部屋から、ジョーン・Bの夏, 樹村みのり, 東京三世社 が出てくる。メーリングリストやコミュニティで、逆説的にこの本に書いてある通りに振舞うことで表面上うまくいってきた。戦略として、そう振舞うことと、本当にどう思っているかまったくわかっていない/わかろうとしていないところの矛盾をどう整理するといいのか知りたい。この本は普段はどこにあるのか姿を消しているのに、こういうときになると唐突に現れて、何かを教えてくれる。そして、今はこの本を読むときなんだと知る。